チャールズ・クレブス博士(創始者)


チャールズ・クレブス博士は、キネシオロジーの中でも究極のモダリティー

「LEAP®ーLearning Enhancement Acupressure Program」の創案者であり、

脳神経関係の研究、数多くの臨床経験を経て世界各国で

このプログラムを20年に渡り発展させてきました。

 

今現在も、臨床心理士、言語聴覚士、脳神経科医、多種学者をはじめ

医療関係者と共に研究を重ね、


一人でも多くの人達の埋もれていた可能性を引き出し、

人生をもっといい方向に変えることができるように、


キネシオロジー:LEAP®が更に効果的な結果をもたらすよう、プログラムの発展に手がけています。 


チャールズ・クレブス博士は、アメリカ人で

以前は海洋生物学者であり、大学教授や海洋生物の研究を仕事としていました。


1981年、彼はオーストラリアのヴィクトリア州の海洋公害に対するモニタープログラムを開発するプロジェクトを任され、オーストラリアに移住してきました。


半年後、彼は友達と一緒に景色の美しさと豊富な自然で有名なWilson's Promontory国立公園の近海にて、

ダイビングを楽しんでいました。


それが彼の運命の変わり目になるとは思ってもいなかったのです。

 

海洋生物学者という仕事柄ダイビングの経験は豊富にあり、

50m60mのディープダイビングも数多くこなしてきたのですが、

その時に限り、彼は不幸にも

重度の減圧症(中枢神経が障害されるIIタイプ、脳型または脊髄型減圧症)にかかってしまいました。

 

急遽、ヴィクトリア近海に位置するオイルリグ用に建設された

世界でも2つしかないという高度の減圧室に、前代未聞の10日間減圧治療を経験し、

今までやったことがない、いちかばちかの治療方として

減圧室での純度の酸素吸入を長期間続け、

瀕死の重症から逃れましたが、半身不随になってしまいました。

 

その後、リハビリ病院に移され、

医者からは「脊髄の神経は死んでしまっているので、

あなたは二度と歩けるようにはならないでしょう」と先刻。

通常のリハビリのやり方では全く進歩がないと気づき、

空手時代に習得した「気」のエネルギーを活性化させ、

自分なりにリハビリに制をだして一心に頑張り続けました。

 

半年後には杖をついて歩けるようになり退院したものの、

やはり死んでしまった脊髄神経は元には戻らず、身体の状態はかなり不調でありました。


その後、脳障害とも診断され海洋学者としての仕事も失うことになります。

どん底に突き落とされた気持ちと身体の痛み不調に悩まされながら、

日々この世の終わりとまでを経験することになったのですが、

瞑想を通し次第に自分の価値を再認識することができ仕事にも復帰し、

彼の人生は少し上向きになりました。


脳障害は自然と消滅し元のIQ160に戻ったそうです。

 

その頃、キネシオロジーの一つである

PKP(Professional Kinesiology Practice)の創案者、Drブルース・デューウィ氏に出会い、

たった小1時間のバランス調整で彼のかなり不具な歩き方がすごく楽になったのに驚きました。


サイエンス的な考えしか出来なかった彼には、

身体のあちこちを押して短時間でどうしてあそこまで進歩したのか理解できず、

それ以来キネシオロジーの原理を追求しようと始めました。


その後、リチャード・アット氏がオーストラリアに訪れ、

アプライド・フィジオロジーというキネシオロジーのコースを教えていました。

チャールズはさっそくそのコースを受講し、リチャードの説明により、

やっとキネシオロジーの原理を納得することが出来ました。


それ以来、全てのアプライド・フィジオロジーのコースを習得することになります。

アメリカに帰国し、リチャードの下で一緒に臨床研究も続けました。


再度オーストラリアに戻り、キネシオロジーのクリニックを始め、インストラクターも勤めながら、

自分なりにいろいろテクニックを開発していくうちに「LEAP®」が誕生しました。

 

自己のダイビングでの事故による後遺症を通し、

勉強・学習を一生懸命やっても出来ない子供達の気持ちがよく分かるようになり、

そういう子供達に少しでも将来へのチャンスを与えてあげたいという気持ちにより、

この「LEAP®」は発達してきました。


このプログラムは、脳各部の統合を可能にしたので、

いろいろな多目的なアプリケーションが望めます。


学習障害だけでなく、いろいろな心身の悩み、ストレス解消、

パフォーマンス向上などに効果を表しています。 



チャールズ・クレブス氏は3冊の書籍を出しています。